切手で知るドイツ 2011年 6月号

ヤーの体操練習場200
200 Jahre Turnplatz Friedrich L. Jahn

体操の父から500万人へ
1811月にベルリンで公開されたフリードリヒ ルートヴィヒ ヤーンの体操練習場はドイツ体操運動の始まりとされている。体操の父と呼ばれるヤーンは大人や児童をここに集め、一般市民に身体運動の普及を勧め、200年たった現在でも、社会基盤のひとつとなっている。組織的には、ドイツ体操連盟(DTB)を母体として全国に万以上の体操クラブがあり、500万人が会員となっている。体操(Turnen und Gymnastik)の他に器械体操もあり、競技・大衆スポーツ、さらにフィトネスや健康スポーツなど多義にわたる活動が展開されている。
165セント)


ザクセン蒸気船航行175年
175 Jahre Sächsische Dampfschifffahrt

エルベ川の観光ヒット
1836日、ドレスデンの市民12人がザクセン王フリードリヒ世から蒸気船航行会社の設立許可を得て、翌年30日に「マリア女王」号がドイツ初めての乗客船としてエルベ川で処女運行を果たした。現在でもドレスデンに本社をもつ蒸気船会社は、世界最大で最古の外輪蒸気船団をもち、ドレスデンを起点として、陶器の町マイセンやザクセンスイスと呼ばれる自然景勝地を結んでいる。
220セント)


メクレンブルクの鉱泉・海岸鉄道「モッリー」運行125
125 Jahre Mecklenburgische Bäderbahn "Molli"

海岸を走る蒸気機関車
メクレンブルク・フォアポンメルン州・バート ドベラン(ロストックの西10km)~ハイリゲンダム~バルト海の町キュールングスボルン間を蒸気機関車が走る狭軌鉄道(レール間隔900mm)は地元の愛称で「モッリー」と呼ばれている。
1886年に開通したモッリーバーンは毎年50万人を乗せ、市電のように歩行者天国を豪快に走り、菩提樹の並木を疾走し、バルト海最大の海水浴場へ向かう。その距離はわずか約15kmだが、45分をかけてゆうゆうと海岸を走る姿は可愛いくも頼もしい。
45セント)


自動車125
125 Jahre Automobil

必需品となった車の開発
188629日、ベルリンの特許局でカール ベンツが自動車の特許No.37435の書類を手にしたとき、無限の可能性を秘めた自動車時代が始まった。その前年の1月、ベンツは「トリサイクル」(輪車)と名づけたエンジン搭載車を開発していた。これは自転車と同じスポークつきの車輪を備えた0.75馬力のエンジンつき輪自転車で、時速は16kmだった。容量1.5リットルの小さなタンクには、薬局で入手した洗剤用ベンジンが入っていた。
時を同じくしてゴットリープ ダイムラーとヴィルヘルム マイバッハは軽く広範に利用可能なガソリンエンジンをシュトゥットガルトで開発、1886年に完成をみた。このエンジンは当初自転車やボート、さらには馬車に付けられた。他のエンジニアたちは車に搭載可能なエンジンの開発を独自に試み、ニコラウス アウグスト オットーはシリンダー内で爆発を繰り返すサイクルエンジンを(1876年に特許)、さらにルドルフ ディーゼルは圧縮によって爆発を起こすエンジンを(1893年に特許)開発した。
アメリカで生産工場にベルトコンベアを導入して生産コストを抑え、簡素な車をつくったヘンリー フォードは大衆に自動車を広めることとなった。モデル「T」は190812年の間に1500万台がつくられ、60年間、1972年にフォルクスヴァーゲン
のモデル「ケーファー」(カブト虫)に追い越されるまで記録を保っていた。フェルディナンド ポルシェによって開発されたこの大衆車は19382003年の間に2150万台がつくられた。
自動車は単に移動を容易にする道具としてだけでなく、スポーツとしても発見されるようになった。すでに1887年にはフランス・パリ~ルーアン間120kmでカーレースが開かれ、1920年代にはレース専用のサーキットがつくられた。それらの中にはドイツ・アイフェル地方の「ニュルブルクリング」、さらに10年後のハイデルベルク近郊「ホッケンハイムリング」がある。
自動車は今や日常の必需品となっており、ドイツには現在5000万台が登録されている。燃費の向上、ハイブリッド、電動車などが最近の傾向となり、これからも開発技術は進歩を遂げていくだろう。
このようにして、我々の行動範囲を広げて自由を与えてくれる車は、技術の成果ばかりでなく、BMWのアートカーのように、文化としての価値をも生じるようになった。

55セント)