切手で知るドイツ 2012年9月号

オットー大帝生誕1100年
1100. Geburtstag Kaiser Otto der Große

西暦9121123日に生まれたオットーはすでに存命中に大帝と呼ばれ、彼の時代を当時の記録学者は「黄金時代」と記している。ローマ教皇によるオットーの皇帝戴冠式は962年で、今年で1050年となる。ここまでに至った中央ヨーロッパの前史として、ゲルマン諸民族を統一し、西暦800年にアーヘンでローマ教皇から初めての皇帝位を与えられたカール大帝の死後、広大なフランケン王国の領域は人の息子たちによって分割され、つの小王国ができたという経緯があり、オットーおよび彼の父王は、さらなる分割を避けることを国是とし、オットーはザクセン、フランケン、バイエルン、シュヴァーベン、ロートリンゲンの諸侯を配下に置き、イタリアも含めて中央ヨーロッパの統一を成し遂げた。
彼によってつくられた統一東フランク・ドイツ国王に皇帝の称号が与えられ、ここに神聖ローマ帝国が創設された。帝国は民族・国境そして宗派を超え、ナポレオンによって解体された1806年まで844年間続いた。973日に亡なくなった皇帝は中世ヨーロッパにおける卓越した統治者であったが、その後カール大帝が達成したほどの広大なドイツ王国が再び蘇ることはなかった。
45セント)


ミッテンヴァルトバーン100
100 Jahre Mittenwaldbahn

ドイツアルプスへの出発地ガルミッシュ・パルテンキルヒェンからミッテンヴァルトを通ってオーストリア国境を越えたシャルニッツ、さらにチロルの中心都市インツブルックに至る63kmのローカル線「ミッテンヴァルトバーン」が開業100年を迎える。建設は当時のバイエルン王国国営鉄道で、蒸気機関車に代わる電気化のパイロットプロジェクトとして、わずか年の建設期間で完成した。山岳鉄道にとっては、電気機関車の方が急勾配を難なく走り抜けることができる。このとき中央ヨーロッパの鉄道で今でも適用されている電流の統一規格である16/ヘルツの周波数が採用された。沿線は山あり谷あり変化に富む自然で、リゾート地やスキー場が多く、16のトンネルや40の橋梁を通って休暇観光地を走り抜ける。
75セント)


シリーズ「ユネスコ世界遺産」
ムスカウ(ムザコフスキ公園)
Serie "Weltkulturerbe der UNESCO": Muskauer Park / Park Muzakowski

ポーランドと共同発行する記念切手。ベルリン南東約130km(コットブス南東約35 km)にある温泉地バート ムスカウの公園は、ナイセ川を挟んで対岸にあるポーランドのムザコフスキ公園と共にユネスコ世界遺産となっている。この地を支配していたピュックラー侯爵が19世紀前半にナイセ渓谷の両岸にまたがる砂地につくった広大な公園は、戦後は川を挟んでドイツおよびポーランドの部分に分かれ、国境は防衛壁でふさがれてしまった。両公園がふたたび昔のように復元され始めたのは1980年代に入ってからで、20年間以上にわたる両国の共同作業によって、ムスカウ公園はやっと統合され、国境を感じさせない一体感が保たれ、2004年以来世界遺産となっている。
バート ムスカウは硫酸鉄(緑ばん)の産地であり、クナイプ療法および泥土浴の療養休暇地として知られる。公園には壮麗な城址が建ち(第次大戦で破壊されたがファサードは残った)、ゴシック様式の教会と熱帯植物園も公園を訪れる人々を楽しませている。
90セント)


シュトラウビングのゴイボーデン民族祭200年
200 Jahre Gäuboden Volksfest Straubing

レーゲンツブルクの東南約40kmにあるシュトラウビングで、18121012日、数千人が初めての農業祭に集まった。バイエルン地方の農業進展に寄与すべく、この催しでは家畜および農産品の品評会が開かれた。このような農業祭は19世紀を通して各地で開かれるようになり、競馬やパレード、射撃ゲーム、花火などが催され、もちろんビール小屋などもできて次第に民族祭として大型化されていった。シュトラウビングの民族祭では職人や流通業なども加わって産業販売展となり、消費者を対象にもしており、毎年120万人が来場、ミュンヒェンのオクトーバーフェストに次いでバイエルン州で番目の大きさだ。
ちなみに、オクトーバーフェストは年前の2010年に200年祭を祝った。

55セント)